野路さんの呟きを皮切りに、
「エモい」に拒否感を持っていた私が
なんで普通に使えるようになったんだっけ?
そもそも「エモい」ってなんだっけ?
と、疑問を感じて始まった
「エモい」の生態考察。
前編を書いてみて、
ふわっ、もやっ、としていた「エモい」の形が
少し輪郭を帯びてきました。
「エモい」と感じるとき、
「今・ここ」ではないどこかに
心を奪われていること。
私にとっての「どこか」は「過去=記憶」で、
「どこか」は「エモい」の源泉であること。
これから始まる後編は、
使えるようになった理由はこれかな?を考えつつ、
もうちょっとだけ「エモい」について
掘ってみようと思います。
*****
世に溢れる「エモい」には
結構いろいろな感情が乗っかっています。
懐かしい、嬉しい、尊い、
切ない、寂しい、悲しい、などなど。
多分まだ他に「エモい」の種類があるだろうし、
一単語として表現できないような
複雑な感情も内包していると思います。
それに伴って、「エモい」を感じる対象も様々で
この人にとってはこれも「エモい」なんだな
と、思うことはしばしばあります。
振り返ってみると、
世の「エモい」に触れる中で、
「エモい」の隣にある感情や、その時の状況を
自分の中に貯めた期間があった気がします。
拒否感が薄れて、
一つの普通の単語として耳に入るようになって、
無意識に少しずつ、「エモい」がストックされて
「エモい」ってこんな言葉なんだ、と。
それがある程度貯まった頃が、
知らず、自然に、「エモい」と口にしたときかも。
こうして文章にすると、
感情を獲得するロボットみたいだなとも思うけれど、
日常で普通に使っている単語の数々も
ずっとさかのぼると同じ工程をたどっていそう。
形容詞はだいたいそうだったりするのかも。
経験を貯めてから使ったり、
使いながら経験を貯めていったり。
もちろん、この単語はこんな意味だよ、と
与えられて使えるようになった単語もたくさんある。
頭の中のどこかに、
たくさんの単語がラベリングされた
薬棚みたいな場所があって、
その中に「エモい」と書かれた引き出しがある。
引き出しの大きさは単語によってきっと違う。
他より大きな「エモい」の引き出しの中に
心が動いた記憶がしまわれていく。
その引き出しは人によって大きさが違っていて、
あなたの引き出しはすごく大きいかも。
入っているものもみんな違う。
それぞれの「エモい」ができあがっているから
多種多様な解釈があると思うと、
なんだかスッと腑に落ちます。
自分と人の「エモい」に重なる部分があれば、
重なりにくい部分もある。
定義の難しい個人の感情に近い単語だから
高い自由度を持ったのだと思うけれど、
「エモい」の意味を言葉にしにくいにも関わらず、
それでも一つの方向性のある意味へと
集約していると感じられるのは
言葉って面白いなと思うところです。
みんな似た感情を抱いていたんだなとも。
共感しやすい言葉として
すごくラフに存在してくれてることに
大袈裟だけれど、少し感謝を覚えたりする。
「きれい」では伝わりきらない
感情の機微や回想みたいなことを、
距離感を測りきれていない人に話すには、
少しでも伝えようと言葉を尽くすには、
普通にお互いにとって重いし、
ちょっと生々しかったりする。
(この文章も人によってはそうだろうなとも思う)
でも「エモい」ならなんとなく、
ちょうどよく伝わっているような気もする。
そこからちょっと深く話が始まりそうなら
その時間を楽しむし、
次の話題にいくならそれもよし。
感情や記憶の重さを感じさせない
カテゴリーみたいな存在感。
それからもっと便利だなーと思うのは、
何かをたくさん感じた気がするけど、
何も言語化できていない!
でもなにかしら発したい!ときに使えること。
「エモい」は突貫工事の要約文にもなったりする。
以前ブログに書いた蛍をみにいった話。
感じたことをたくさん書いたけれど、
「蛍がエモかった」で終わる話だったりします。
実際、友人と川辺を歩く間、
「エモ〜……」
と、お互い何度もこぼしてました。
帰宅後、両親に感じたことを話そうとしても
なかなかまとまらず、発した言葉は
「とりあえずなんかもうエモかった」
感情が溢れると語彙力を失ったりする。
そんなとき、一単語で言い表せる瞬発力。
それはもはや感嘆詞で、
「エモい」は「ヤバい」に次ぐ
便利な存在になっている。
コスパとかタイパが話題になる現代に
ぴたっとはまる言葉でもある気がしてくる。
生まれるべくして生まれたような。
そう思うと、
初めに、感情を略されたような寂しさや
刹那的に完結されたような焦りを感じていたのも
さもありなん、だと感じてきます。
ゆっくり生きたいし、
ゆっくり味わいたい。
なんとも曖昧で、寛容で、
インスタントな生態の「エモい」。
助け舟的に付き合っていくのが
「エモい」との程よい距離感なのかもしれません。
おわり