羽やすめ文庫
「エモい」の生態学  前編

「エモい」の生態学 前編

2024.08.16
読みもの/

「エモいって言葉、まだちゃんと使えてないな〜」

腕組みしつつ、野路さんがポツリ。

「えっ?」

と、疑問符が飛び出したものの、
すんなり口にできるようになったのは
そういえば、ここ2年くらいかもしれません。

初めて「エモい」を耳にしたのは、
たぶん今から4年くらい前。
当時は
「エモい!?」
「もっと他に形容詞あるやん‥‥‥」
などと、正直なところ思っていました。

聞きなれない言葉に対する漠然とした拒否感。
受け取りたい感情を略されたような寂しさ。
もっとゆっくりと味わいたいのに、
刹那的に完結されたような焦り。
言葉にするならそんなソワソワ感を
「エモい」に対して、当時は感じていました。

そんな風に距離を感じていたのに、知らない間に
「エモい」を使えるようになったのは
どうしてなんだろう。
‥‥‥というかそもそも「エモい」ってなんだっけ?

私の中の「エモい」の意味に意識を向けてみると
なんだかすごくフワッとしていて曖昧です。
ひと言で表すには言葉が足りない。
とても感覚的に使ってしまっています。
初めはあんなに違和感を持っていたのに。

「emotional」の略として生まれた「エモい」
ネットで検索して出てきたのは、
「なんとも言い表せない感情」とか、
「心が揺さぶられたときの感情」など。

もっとズバリな言葉はないものかと考えあぐね、
「エモい」を頭の片隅に置いたまま入った本屋で
たまたま出会ったのは
堀越英美さんの『エモい古語辞典』
その前書きの中で、
「エモい」と感じる瞬間に共通しているのは、
「今・ここ」ではないどこかに心が奪われている状態
と、表現されていました。

確かにそう!と、目から鱗でした。
「今・ここ」ではないどこか。
改めて考えると、「エモい」と感じるときには
それに寄り添うように
別の何かも引き出されている気がします。
私や友人の発した「エモい」を思い出してみると、

・瞬間的に思考が止まって、
 昔体験した記憶も一緒に想起しながら
 目にした光景が染み込んでくる感じ。

・実際に体験したことではないけれど、
 今まで見た映像や写真、文章から蓄積された
 イメージも重なって流れ込んでくる感じ。
 (田舎、夏のイメージとか)

・人と人との関係が進展してきたときとか、
 何か重要な問題が解決したとき、
 そうあって欲しいと願ってきた時間の長さや
 これまでの苦難や思い出が
 フラッシュバックして震わせてくる感じ。
 (伝わりますように!笑)

細かく文字に起こすとこんな感じ?
こうして言葉にしてみると、
「エモい」と心を揺さぶられるとき、
私にとっての「どこか」は
記憶や経験、時間のような「過去」にあるようです。
哀愁とか、郷愁とか、
過去に関わる感情のイメージが
「エモい」だと思っているからかもしれません。

逆に、
「未来」が「どこか」になるエモいは
まだ感じたことがない気がします。
未来を感じる「エモい」ってどんなだろう?
いつかこうなったらいいなと空想したものに
「エモい」と感じることがあるのなら、
それは未来に心を奪われた「エモい」になるのかも?

「今・ここ」ではないどこか。
「どこか」は「エモい」の源泉とも言えそうです。
「どこか」を自分の中に持っているから、
「エモい」感情が生まれてくる。
‥‥‥のかも。

これを読んでいるみなさんはどう思うのでしょう?

いろんな人の中にあるだろう「どこか」を、
珈琲の香りと静かな音楽が流れる
エモエモな純喫茶で
お茶とかしながら聞いてみたいです。
 

つづく

  • 文:亀井夢乃