好きな季節は?
そう聞かれて
「冬!」と即答したのはいつだったか?
今でも変わりなく目を奪う
白に覆われた静謐な景色。
やっぱり冬の景色が好きだ、と
思わずにはいられない。
けれども現実は気難しく、
冬のさなかに大事なクマと離れ離れになった
暗い数日間を経ても揺らぐことのなかった
好きな季節:冬の文字は、
「車での通勤」が必須になった頃から
段々とかすれて自信がなさそうにしている。
以前の職場で、片道1時間の通勤が
積雪と凍結で倍増した冬の日々は、
雪が降れば降るほどため息が出て、
寒い、雪かき大変、車の運転は怖い、と
現実的で腰が重くなる「嫌」なことが
冬への「好き」の気持ちに
ひっついてくるようになってしまった。
「好き」なところだけに集中できないせいで、
小学生の頃のように文句なしに好きと言えず、
自分の生まれた季節だからと
無邪気に愛しきることも難しい。
いつのまにか、好きな季節に
背筋正しく冬が居座ることはなくなってしまった。
それがたまに、ほんのり寂しい。
思えば、
大好きだった過去が尾を引いていたようで
冬への未練がタラタラなまま
だらだらと年月が過ぎてしまったけれど、
今年はちょっと転機があった。
Q. 好きな季節は?
春。
春が好き。
朝、信号待ちの車の中、
ぼーっと窓の景色を眺めながら、
ため息をつくように思って
一拍置いた後、少しばかりびっくりした。
「あ、そうなんだ」
と、これまでも意識せず感じてはいたことが、
ここ数年の回顧とともにはっきり文字に起こされた。
ここ数年。
つまりは六感デザインに勤めるようになってから、
少し広い川沿いの道をよく通るようになった。
それまでもたまに通ることがあったその道は
冬は雪で悪路になってしまうけれど、
雪が溶けて春を待つ数ヶ月は
景色の変化に目が離せない。
3月。
少し暖かさを感じ始める頃に、
毎年同じ橋の下にイワツバメの群れが巣をつくる。
ツバメより小さめで、燕尾も短いけれど
腰の白い模様が虫を追いかけてひるがえるたびに
日差しを受けてキラリと光る。
雲の少ない晴れた日は、空高く飛び交っていて、
橋の下を飛んでいるときは
空を見やって、今日は傘が必要かなと思う。
雨の日は姿が見えないこともあって、
次の日元気に飛び交っていると安堵する。
信号待ちの間、ちょうど見える飛ぶ姿を
眺めることが春の日課になっていたし、
そろそろ渡ってくる頃かなと
毎年その時期を待ち遠しくも思っていた。
それから、
川辺に立つ寒そうな木々の細枝が
萌黄色に染まり始めるのも同じ頃。
一日ずつ、日を追うごとに
小さな芽吹きが徐々に大きくなっていく。
それも辺りの木々が一斉に色づいていくものだから、
目を奪われる静かな力強さと美しさがある。
いつも「もののけ姫」を思い出す。
無音から始まるラストシーン。
破壊の爪痕が残る森に緑が芽吹いて、
一斉に蘇っていくあの場面。
一番好きな色合いに染まる瞬間は
あっという間に過ぎ去ってしまうけれど、
萌黄に染まるこのひとときは
いくぞいくぞ、と力を溜めているようで
もうすぐ春が来る、と
ソワソワしてワクワクしてくる。
そうして開いた青々とした大きな葉が
存在感大きく春を告げる。
新しい時間が始まった、という期待感いっぱいに。
そんな川辺の姿も晴れ晴れとしていて清々しい。
その横で並木の桜が花ひらく。
菜の花の黄色が眩しくて、
足元には青くて小さいオオイヌノフグリ。
モッコウバラの柔らかな黄色も見逃せなくて、
その後に続くのは落ち着いた紫の藤の花。
帰り道にはニゲラが咲く空き地があって、
最近知ったタイサンボクは
びっくりするくらい大きな白い花が咲く。
次々と移り変わっていく春の景色。
心浮かれる、始まりの季節。
小学生の頃は、
冬が始まりの季節だったのだと思う。
自分が生まれた季節は当たり前に特別で、
今の私にとっての冬は
たぶん閉じる季節なのだ。
できることなら、何もせず、どこへも行かず、
遠くに響く冬の音を少し感じながら
暖かい毛布にくるまって眠りたい。
冬との、
四季との付き合い方が変わっただけで、
変わってしまったことに
罪悪感を抱く必要はないのかもしれない。
その時々に合わせて
「好きな季節」はこれからも
ゆらゆら変わったりするのだろう。
なんだか人付き合いみたいだなと思う。
見えていた部分、
見えなかった部分、
見えはじめた部分、
見えなくなった部分。
たぶん全部が
ずっとそこにあるもの。
私が捉える方法次第で
見える景色は変わっていくのだろう。
おわり







