好きな季節は?
そう聞かれて
「冬!」と即答したのはいつだったか?
雪遊びに熱心だった小学生の頃は
雪が降れば降るほど嬉しかったし、
自分の生まれた季節だからと
冬を無条件に愛していた。
けれど、そんな小学生時代にも一時期、
冬が暗い季節になったことがあった。
低学年の国語の授業だったか、
自分の宝物を紹介するときがあって
当時お気に入りのクマのぬいぐるみを携え
意気揚々とみんなの前で発表した。
その日の帰り道には雪が積もっていたので、
友達と閉じた傘で雪を散らしたり線を書いたり
遊びながら家に帰ったのを覚えている。
楽しい気持ちのまま、ただいま〜と言ったところで、
はた、と手元を見て青ざめる。
クマがいない。
……クマを入れたスーパーの袋がない。
(宝物なのにチープなものに入れたものだ)
赤いランドセルにも隠れていない。
焦りに焦り、
猫とこたつで暖をとっていた
おばあちゃん(正確には曽祖母)と帰路を戻るも、
どこを探しても見つからず、果ては目の前で
ガチャガチャと機械音を轟かせる巨大な除雪車が
足跡の残った雪をどっさりさらっていってしまった。
帰り道には、もうなにもない。
呆然とするしかない。
泣いたかどうかは覚えていないけれど、
おばあちゃんと一緒にとぼとぼ家に戻った。
宝物ならしっかり袋を握っておこうよ、と
我ながらため息をつきたくなる案件ではあるけれど、
友達と雪で染まった帰り道を楽しみつくすことで
いっぱいいっぱいだったんだろうなと思う。
突然手からクマが消えた。
本当にそれくらい、前後を何も覚えていなかった。
クマが神隠しにあってからの日々の記憶は
ぽっかり穴があいたように残ってはいないけれど、
ほどなくして事件は終息を迎える。
まだ冬の最中の帰り道、
友達のひとりが「あれ何?」と指差す方にあったのは
電柱の足場釘にぶら下がったスーパーの袋。
不透明で中身が見えないものの、
「クマ!」と弾けるように駆け寄った。
中身を見た誰かが汚れないようにと
足場釘に掛けてくれたようだけれど、
小学生の背の順で真ん中あたりの身長だった私には
到底届かない位置にぶら下がっている。
みんなで見上げるしかない中、
ランドセルの肩紐にぶら下げていた傘の先を握って
なんとか持ち手に引っ掛けようとジャンプする。
とにかくもう必死だった。
あのとき見ていた視界を今でも覚えているほどに。
ようやく袋が傘にかかった瞬間は、
スローモーションの演出付きだ。
スーパーの袋の底に、ころんと横たわったクマは
ちょっとしっとりして、ひんやりしていた。
もう二度と会えないかもと思っていたので、
ぎゅっと抱きしめながら安堵する。
神隠しからの生還を祝って。
あの時、友達も一緒になって取ろうとしてくれた。
彼女/彼らはもう覚えていないだろうけれど、
手伝ってくれてありがとう。
こうして、暗い冬の一大神隠し事件は幕を閉じた。
小学生の気持ちの切り替えは早いもので、
それを機に、冬が嫌いな季節に転落することはなく
好きな季節の欄にはいつでも「冬」と書かれていた。
あのとき神隠しにあったクマは
今も我が家で暮らしている。
くだんの出来事が原因かは定かではないけれど、
クマの腕は前よりも少しぷらぷらしていて、
胸元のリボンも折れ曲がったままだ。
ともかく自室の本棚の片隅で、
今もぼんやり座っている。
大人になってクマを抱きしめたり、
愛でたりはしなくなったけれど、
あの冬の日の思い出は今も色濃くとどまったままだ。
つづく
