「なんとなくいい」と感じること、もしくは「なんとなくいい」と感じているかどうかもわからないくらいにぼんやり感じていること、そして「なんとなくいや」と感じること、もしくは「なんとなくいや」と感じているかどうかもわからないくらいにぼんやり感じていること。日々の生活はこういった無意識に感じていることの連続。
デザイナーとしては、この「なんとなくいい」や「なんとなくいや」についてよく見て聞いて嗅いで触って味わって考える。意識的に、論理的に。
生活者としては無意識に「なんとなくいい」と感じている状態が好きだし、「なんとなくいい」という感覚が溢れていることが良いことなんじゃないかと思っている。「なんとなくいい」というのは曖昧だと捉える方もいるだろうが、すごく肉体的で具体的だと思う。そして「なんとなくいい」というのは特別なことじゃないと捉える方もいるだろうが、特別なことは「なんとなくいい」の集積だと思っている。デザインのお仕事をしてきて、この考え方はずっと変わっていない。
もう1つ思っていることは、意識的に「なんとなくいい」について考えていくと、理解できることとできないことが出てくる。理解できると「なんとなくいい」がくっきりするし、理解できない「なんとなくいい」はぼんやりしているがその中には良いか悪いかはわからないが新しさが隠れている。くっきりすることと新しい何かがあること、これはとても希望だと思う。
「なんとなくいい」を作ろう、届けよう。
曖昧で弱っちく捉えられるかもしれないが、とてもくっきり強いものだと信じて、「なんとなくいい」が溢れることが良いことだと信じ、この言葉をミッションとしました。そして「なんとなくいい」という感覚が六感だと思っている。