お日柄、お人柄
感覚の男、論理の男、第三の男

感覚の男、論理の男、第三の男

2024.07.04
読みもの/

デザインをする上で、
自分の中の2人の男が
対話していると思っている。

感覚の男と論理の男。

デザインを作っている時は
瞬間瞬間でどちらかの男が主導になる。
だから判断をするときには
もう1人の男に聞くようにしている。

感覚で作ったものは
論理の男に判断してもらうし
論理で作ったものは
感覚の男に判断してもらう。

感覚の男と論理の男の意見は
どちらも正論で
相手のことを考えてはいるが
混じり合えないことがある。
感覚の男に論理がないわけじゃないし
論理の男に感覚がないわけじゃない。
感覚の男は
論理を感覚で捉え、
論理の男は
感覚を論理で捉える。

感覚の男にとって
感覚こそが論理で、
論理の男にとって
論理こそが感覚だ。

両者とも感覚も論理も持っていて
違うような一緒なような
そんな両者の対話が大事だと思っている。

が、
実は第三の男がいるんじゃないかと
思うようになった。

冗談の男。

対話が硬直した時に現れて
冗談を言って場をなごませたり
「あるある」っていう
新しい視点を投げかけて
2人の間を取り持つ。

デザインをしている時に
自分の中でこんなことが
行われているんじゃないかと
思うようになった。

「感覚」と「論理」と「冗談」。
これはこのまま
「感じる」と「考える」と「ふざける」だ。

「ふざける」は
調和するための
やさしい知恵であり
デザインなんだと思う。

  • 文:野路靖人